時代と共に変遷する言葉の意味、そして翻訳における「コトバ選び」

執筆:安藤 惣吉(董事、株式会株式会社ウィズウィグ 代表取締役)

翻訳作業において「訳語の選定」というのは、いついかなる分野においても常に私たちを悩ませます。日常において何気なしに使っている言葉が、実は意外な意味を持っており、翻訳の際に改めて気がつくといったご経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

「コトバ選び」というと、とかく執筆家や編集者のテリトリーだと思いがちですが、私たち翻訳者にとっても身近な話題であります。今回の記事では、私が最近の中国ドラマの字幕で目にした「結界」という言葉について、少し掘り下げてご紹介したいと思います。

フィクションの世界における「結界」

日本でも話題の中国ドラマ「擇天記~宿命の美少年~」(たくてんき、中国名:择天记)をご覧になった方も多いのではないでしょうか。このドラマの字幕で、たびたび目にするのが「結界」という言葉です。

擇天記は、人族・魔族・妖族と星座(天界)を巻き込んだ一大スペクトラルドラマです。中国で人気が高い作家である 猫膩 氏の同名小説が原作であり、韓国の男性アイドルグループ「EXO(エクソ)」の元メンバーだったルハン(鹿晗)が、主役として連続ドラマ初挑戦を行ったことでも話題となりました。

ルハンが演じる主人公の陳 長生は、20歳までしか生きられない宿命を背負っています。ドラマは、この宿命を変えることができる手がかりを求める主人公の波乱に満ちた修行と、それを阻止しようとする魔族の軍師・黒袍との戦いという展開が軸となっていますが、物語の終盤には「どんでん返し」と言えるような大きな展開を見せます。

ドラマの字幕では、戦いの最中に形勢が不利になるときや相手の呪術を躱すときに「結界を張る」という表現が使われています。この「結界」は、ドラマの中では透明なドームのように表現されており、この中ではいかなる呪術・妖術も影響を受けることはありません。

「三国志~趙雲伝~」での凛然たる演技とその美しい顔立ちが話題になった女優、グーリー・ナーザー(古力娜扎)がヒロインの徐 有容 役で共演しており、元アイドルであるルハンとの艶美な掛け合いも魅力です。「結界」の威力とともに、ぜひドラマで実物をご覧になってみてください。

中国ドラマ「擇天記~宿命の美少年~」|BS12 トゥエルビ

元EXOのルハン、連続ドラマ初主演作!超大型ファンタジー時代劇!

www.twellv.co.jp

このように「結界」は、ドラマのなかでは外部からの攻撃を避ける「場」や「空間」を表す言葉して使用されています。

これと似た意味を表す言葉に「陣」があります。例えば「魔法陣を描く」という言葉があります。ファンタジーなどで出てきますが、紋様や文字で構成された図など描いて仕切られた空間を作ることを意味します。夢枕獏氏原作の「陰陽師」では、安倍晴明が地面に五芒星を描き「結界を張る」シーンがあります。この結界は、魔物の攻撃から逃れるものとして使用されていました。

「バリア」や「シールド」という言葉もある意味では「結界」と同じものです。これらの言葉はSF映画やドラマなどによく出てきます。レーザー光線を跳ね返したり、敵のいかなる砲撃からも身を守ります。

ノンフィクションの世界における「結界」

男女平等の現代社会においては口にすることもはばかられますが、古代日本では女性が立ち入りできない場所を「女人結界」と呼んでいました。現代語に訳すると「女人禁制」でしょうか。(言葉の字面だけを見ると、現代語のそれの方がむしろ語意が強いようにすら感じます。)

かつての日本は、全国のいたる所に「女人禁制」の地がありました。富士山でさえも、江戸末期までは女人禁制であり、女性は2合目までしか登れなかったことをご存知でしょうか。現代でも、高野山や湯殿山など古代から続く霊場では女人禁制となっているところがあります。

「結界」は、原始仏教において修行者が守らなければならない規則=「律」が、その由来と言われています。

原始仏教では、出家した修行者(男性修行者は「比丘:びく」女性修行者は「比丘尼:びくに」)によって組織が作られ、これをサンガ(saṃgha)と呼んでいました。それぞれのサンガでは、参加する比丘・比丘尼の合議によって運営のルールが定められます。このルールが通用する場所の領域を「界(sīmā)」と呼びました。注1)注2)

注1)本文で述べているサンガは「現前サンガ」を意図しており、その上位概念として「四方サンガ」がありますが、詳しくは本文では割愛いたします。
注2)サンガ=国、界=国境とイメージすると分かりやすいでしょう。ある国において定められた法律は、その国(国境)の中だけで通用する。同様に、あるサンガにおいて定められた律は、そのサンガの界の中だけで通用する、ということです。

このように原始仏教では「界を設定」する、つまり「結界を張る」ことにより律を正し、これを結界法と呼びました。結界法については《インド密教における結界法: Vajravali nama mandalopayika訳(2)」『名古屋大学文学部研究論集』 第114巻 1992年3月 pp. 89-109》に詳しく述べられています。

時代とともに変わる「コトバ選び」

本来はこのような意味を持っていた「結界」ですが、後世になって仏教用語の界と密教の神秘的な意味が合わさり、「神秘的なエネルギーを保持する場所」といった意味も加わるようになりました。密教では、魔の障難を払うために、道場の一定区域を制限することの意味でも使用されていました。

言葉は時代とともに意味が変わっていきます。例えば英語の「chariot」は古代ギリシャやローマでは「一人乗りの二輪戦車」、しかし18世紀では「4輪の軽量馬車」を意味するようになった、という具合です。では、先のドラマ「擇天記」の字幕翻訳で使用された意味合いでの「結界」を最初に使用したのは、いったい誰なのでしょうか?青空文庫で「結界」を検索しても、このような意味で使用した例文は見つけることができませんでした。皆さんもぜひ、ドラマの中の意味での「結界」を最初に使用した人を探してみてはいかがでしょうか。

このように、「結界」という言葉ひとつを取ってみても、その発祥や歴史的変遷を辿ることは、非常に知的好奇心を刺激されます。大連雅訳の中国語翻訳では、ドキュメントが求めている歴史・文化・地域・民族の情報を十分に考慮し、原文の意味を伝わりやすい翻訳を作成することに努めております。

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